風が冷たく、しんしんと底冷えする真冬。暖をとり温かな飲み物で一息つく。
オレンジ色の灯りに包まれて1日を振り返る。
かつてターシャテューダに憧れて、野に放つ植物たちとの暮らしに夢を描いた。
私は植物との関わりを生業としてきたが、いつか暮らしの中に草木花たちが寄り添い、青々とした葉や、色とりどりの花々にときめき、実りからうける恩恵に感謝しながら収穫を喜ぶ暮らしがしたいと願ってきた。
憧れとは程遠い現実との狭間にいたけれど、そんな憧れの暮らしがすぐ背中合わせにあることに気づいたのは最近である。
とおに五十路も過ぎてしまった。
家族のために頑張ることが生き甲斐であり、「誰かのために」が頑張れる源でもあった。
昨年夏、自身が病み一度は仕事を離れた。植物たちとの関わりも諦めた。
一度空っぽにしてみて改めて実感した。
植物たちがとても愛おしく思えた。生業としながらも植物たちといることが懸命に生きられるゆいつの拠り所であり、そんなふうに生きてきた自身を愛おしく思えたのかもしれない。
「家族のために」の生き方から「家族に迷惑をかけないように」の生き方に変わった。
家族を守ること、暮らしてゆくこと。その為には後悔や失敗に恐れるよりも何もしないことの方が怖かったのかもしれない。
試行錯誤、自問自答の繰り返しの中で進む道を決めてきた。
あの当時はまだガーデンデザイナーやガーデナーという職業はそれほど知られてはいなかった。庭師とガーデナーとの境もよく聞かれた。男性社会でもあり全てが未知の世界だった。下北沢に神田隆先生が開くフロムネイチャーというschoolがあった。そこに通いガーデナーそしてデザイナーを目指し歩き始めたのが23年前のこと。何もかもが新鮮で、植物やデザインとの出会いは私の中の世界観がひっくりかえるくらいの感覚だった。あの頃は私自身も大きな人生の転換期であり、どちらかと言えば世間知らずであった私が飛び込んだ不思議な世界でもあった。神田先生との出会いが今のオーガニックな考え方をする基本となった。人生の中の大きな分岐点にいたと思う。
2000年12月にverde’花あそびを立ち上げた。あれから20年。この道を歩いてきた。細く長く。長い坂道だった。時に向こう見ずであり、時に小心者であり。
沢山の人達に助けて頂いた。
背中を押され多くのことを経験した。間違いの迷路の中に入ってしまった時、出口へと手を引いてくれた恩人がいた。
一人ではなかったことへの感謝を生涯忘れてはいけない。
時を経て振り返った時、思い出されるのは只ひたすら前向きに生きようとしていたあの頃の私。いろいろあったけれど楽しかったと思えていることにほっとする。
なりふり構わずで必死だった自分をとても愛おしく思う。
若さがとても眩しく思える。
誰かのためにから
少しだけ自身のために生きる道を歩き始めた今、年を重ねるとはこういうことなのかと日々考える。この先の人生がどうなるかなんてわからない。これでよしと言い切れる生き方なんかないと思う。若さも体力もあの頃程はないけれど、今だからできる生き方を探していこう。憧れたターシャのような暮らしを胸におき、この先も懸命に歩いていこう。
20周年を迎えられたことに感謝しながら。
ぼちぼちで良い。
まっすぐ前をみて
ゆっくり楽しんでいこう。

